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東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)95号 判決

原告

株式会社シルバーメデイカル

被告

特許庁長官

主文

特許庁が昭和57年審判第23911号事件について昭和62年3月26日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文同旨の判決

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和55年12月26日、名称を「注射器」とする考案(以下「本願考案」という。)について実用新案登録出願(昭和55年実用新案登録願第186390号)をしたところ、昭和57年11月2日拒絶査定があつたので、同年12月1日審判を請求し、同年審判第23911号事件として審理された結果、昭和62年3月26日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年5月9日原告に送達された。

二  本願考案の要旨

前端、後端に刺通部を有する刺通針を先端に取着した外筒と、この外筒内に移動可能に挿入しかつその先端に前記刺通針の後端が刺通され得るゴム等の栓体を設けた内筒と、この内筒内に挿入したプランジヤとを備えて前記外筒と内筒との間に第1の薬液室を、内筒とプランジヤとの間に第2の薬液室をそれぞれ画成でき、前記外筒内を内筒が移動して前記第1の薬液室容積をほとんど零にまで低減したときに、前記刺通針の後端を前記栓体に刺通して刺通針をそれまでの第1の薬液室との連通状態から第2の薬液室に切換連通させるよう構成し、プランジヤの押込操作によつて第1の薬液室内の放射性物質等の薬液を第2の薬液室内の生理的食塩水等の薬液によつて圧送状態に注射し得るよう構成したことを特徴とする注射器(別紙図面(1)参照)

三  審決の理由の要点

1  本願考案の要旨は前項記載のとおりである。

2  これに対して、原査定の拒絶理由の概要は、本願考案は、本件出願前に頒布された刊行物である昭和52年実用新案出願公告第55913号公報(以下「引用例」という。)記載の考案に基づいて当業者がきわめて容易に考案をすることができたもので、実用新案法第3条第2項の規定により実用新案登録を受けることができないというにある。

そこで、引用例の記載内容を検討すると、引用例には、管体から成る薬剤容器と、この薬剤容器を装着するための刺通針を一端に備えたホルダから成る注射器であつて、該薬剤容器が管体の一端開口部に前記刺通針を刺通させるためのゴム栓を嵌着し、該ゴム栓との間に粉末薬剤を収容するとともに、溶解液を吸入するため管体内を移動できるプランジヤに接続し得るガスケツトを備えた構造を有すること、及び注射を行う際にはホルダ内に薬剤容器を挿入し、刺通針をゴム栓に貫通し、これを薬剤収容部と連通させてから、プランジヤを引いて吸入した溶解液を粉末薬剤と混和し、次いでプランジヤを押し込み薬液を注射するという該注射器の使用の態様(別紙図面(2)参照)が記載されている。

3  本願考案と引用例記載の注射器とを比較すると、注射器の構造上、本願考案の注射器の外筒及び内筒は、構造及び機能上引用例記載の注射器のホルダ及び薬剤容器に相当し、引用例記載の注射器の薬剤容器内のゴム栓とガスケツトの間の空間部は本願考案の注射器の第2の薬液室に相当するものである上、引用例の記載及び図面からみて、ホルダ内に薬剤容器が移動可能であることは明らかであるから、該薬剤容器を移動させることによつて、ホルダと薬剤容器との間に本願考案の注射器における第1の薬液室に相当する部分を形成することが可能であるから、その構造上、引用例記載の注射器は本願考案の注射器と対応する部分に第1及び第2の薬液室を形成でき、2種類の薬液を1回のプランジヤの押込操作によつて順に注射できることは、当業者にとつて自明のことである。

したがつて、以上のことを参酌すると、結局、両者は、前端、後端に刺通部を有する刺通針を先端に取着した外筒と、この外筒内に移動可能に挿入し、かつその先端に前記刺通針の後端が刺通され得るゴム栓体を設けた内筒と、この内筒内に挿入したプランジヤとを備えて前記外筒と内筒との間に第1の薬液室を、内筒とプランジヤとの間に第2の薬液室をそれぞれ画成でき、前記外筒内を内筒が移動して、前記刺通針の後端を前記栓体に刺通して刺通針をそれまでの第1の薬液室との連通状態から第2の薬液室に切換連通させるよう構成し、プランジヤの押込操作によつて第1の薬液室内の薬液を第2の薬液室内の薬液によつて圧送状態に注射し得るよう構成して成る注射器である点で一致し、相違する点は、引用例記載の注射器は、刺通針を第2の薬液室に切換連通する際、本願考案の注射器の第1の薬液室に相当する部分に、死空間が残存する構造であるのに対し、本願考案の注射器は第1の薬液室容積が零にまで低減できる構成とした点にある。

よつて、この相違点について検討すると、引用例記載の注射器の本願考案の注射器の第1の薬液室に相当する部分に死空間を残存させないために、第1の薬液室容積が零にまで低減したときに、刺通針を第2の薬液室に切換連通するように構成することは、当業者が目的に応じて適宜採用できたきわめて容易になし得た設計的事項に属するものと認められる。

前記の点を総合すると、本願考案は、引用例記載の注射器の一部をきわめて容易な設計変更したものにすぎないから、引用例の記載に基づいて当業者がきわめて容易に考案をすることができたものであるので、原査定を取り消すことはできない。

四  審決の取消事由

審決は、本願考案と引用例記載の注射器とを対比判断するに当たり、引用例記載の注射器の構造及び機能を誤認した結果、引用例記載の注射器のホルダ及び薬剤容器は本願考案の注射器の外筒及び内筒に相当し、そのホルダと薬剤容器との間に本願考案の注射器における第1の薬液室に相当する部分を形成すると誤つて判断し、かつ、両者の相違点についての構成は、当業者が目的に応じて適宜採用できたきわめて容易になし得る設計的事項に属するものと誤つて判断したものであつて、違法であるから、取り消されるべきである。

1(一)  引用例記載の注射器の薬剤容器は、引用例に、「薬剤容器AはホルダBに対し強く嵌合する。すなわちホルダBの奥部を狭く形成してある。しかして確実に固定された状態で刺通針7は粉末薬剤1の収容部5と連通する。」(第3欄第4行ないし第7行)と説明され、さらに、「薬剤容器の管体をホルダに螺合させるようにしてもよい。」(第4欄第3行ないし第5行)と説明されていることからも明らかなように、機能上、ホルダに確実に固定された状態で使用されるものである。

これに対し、本願考案の注射器の内筒は、外筒内で移動することによつてまず第1の薬液室の薬液を注射するプランジヤの作用を果たすことがその機能の重要な役割とされている。

したがつて、本願考案の注射器の外筒及び内筒は、その構造及び機能上、引用例記載の注射器のホルダ及び薬剤容器に相当するものではない。

(二)  引用例記載の注射器において、ホルダ内に薬剤容器が移動可能であることは審決認定のとおりである。

しかしながら、前記(一)のとおり、引用例記載の注射器では、薬剤容器がホルダ内を移動している際に、何らかの作用をなすことは全く期待されておらず、かえつて、ホルダに薬剤容器が固定された状態で使用されるべきものである。すなわち、引用例記載の注射器は、2種の薬液(薬剤と血液等の溶解液)をいかに手際よく混合した上で注射等をするにはどうしたらよいかという発想に基づいて考え出されたものであるから、薬液が混り合う部屋として1つを想定すれば十分であつて、そのため薬剤容器がホルダに強く嵌合された状態で使用される。

これに対し、本願考案は、2種の薬液をできる限り混ざり合わないようにして、順序に従いかつ迅速に一連の操作で注射するにはどうしたらよいかという発想に基づいて考え出されたものであつて、2つの薬液室を画成することは不可欠の構成である。言い換えれば、引用例記載の注射器はこれまでの普通の注射器の外筒に工夫をこらしたものであるのに対し、本願考案は、従来の普通の注射器のプランジヤに注目し、プランジャを本来の機能のほか、薬液室として利用できるように工夫したものである。

このように、引用例記載の注射器には、ホルダと薬剤容器との空間を、本願考案の第1の薬液室のように使用するという技術的思想はなく、むしろ第1の薬液室と第2の薬液室とを別々に設けることは、2種の薬液を手際よく混合させるという発想から遠ざかる結果となり、その技術的思想に反することが明らかである。

したがつて、引用例記載の注射器には、そのホルダと薬剤容器との間に、本願考案の注射器における第1の薬液室に相当する部分を形成するという技術的思想はないから、引用例記載の注射器から、本願考案のように第1の薬液室及び第2の薬液室を形成して2種類の薬液を1回のプランジヤの押込操作によつて順に注射できることは、当業者にとつて自明のことであるとした審決の認定、判断は誤りである。

この点に関し、被告は、引用例記載の注射器のホルダと薬剤容器との間に本願考案の注射器における第1の薬液室に相当する部分を形成することは可能である旨主張する。

しかしながら、引用例記載の注射器においては、注射器を患者の血管に刺す時には、ホルダと薬剤容器との間に被告の主張するような空間部が形成されているとはいえず、また、「ゴム栓3の途中まで刺通針7を刺通」した状態から「さらに薬剤容器Aを深く押し込み刺通針7によりゴム栓3を貫通させる。このとき薬剤容器AはホルダBに対し強く嵌合」させて使用するのであるから、通常の注射器のプランジヤとして機能するものでないことが明らかであつて、被告の前記主張は誤りである。

2  本願考案と引用例記載の注射器との相違点である、引用例記載の注射器は、刺通針を第2の薬液室に切換連通する際、本願考案の注射器の第1の薬液室に相当する部分に死空間が残存する構造であるのに対し、本願考案の注射器は、第1の薬液室容積が零にまで低減できる構成とした点は、両者が技術的思想を根本的に異にすること、すなわち、引用例記載の注射器では、2種の薬剤を混合させることに発想の原点があるため、薬剤室は1つで足りると考えられたのに対し、本願考案は、2種の薬液を混合しない状態で、いかに順序よく、かつ迅速に注射するかという発想に基づき第1の薬液室容積が零にまで低減した時、第2の薬液室に切換連通する構成を採用したことによるものである。

したがつて、引用例記載の注射器において、右相違点に関し本願考案のように構成することは、当業者がきわめて容易に想到し得たことでないのに、当業者が目的に応じて適宜採用できた容易になし得る設計的事項に属するとした審決の認定、判断は誤りである。

第三請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三の事実は認める。

二  同四は争う。審決の認定、判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。

1  引用例記載の注射器の薬剤容器は、引用例に、「透明体よりなる有底筒状のホルダBに上述した薬剤容器Aを挿入した」(第2欄第21行、第22行)、「注射を行なうにはホルダB内に薬剤容器Aを挿入し、しかもゴム栓3の途中まで刺通針7を刺通する」(同欄第34行ないし第36行)、「この状態において注射器の刺通針7を患者の血管に刺し、しかるのちさらに薬剤容器Aを深く押し込み刺通針7によりゴム栓3を貫通させる」(第3欄第1行ないし第4行)と記載されていることを参照すれば明らかなように、薬剤容器はホルダ内に挿入される時にホルダ内を移動するものであり、さらに、この注射器を患者に使用する過程においても、ホルダ内を移動するものである。

このように、引用例記載の注射器の薬剤容器は、ホルダ内を移動可能であり、ホルダに薬剤容器が挿入される途中の状態を考えれば、ホルダと薬剤容器の間に空間部が形成されることは明らかである。また、前記引用例の記述に基づき患者の血管に刺す時の注射器の状態を検討すると、薬剤容器はホルダ内に完全に嵌合されてなく、途中までしか挿入されていないのであるから、ホルダと薬剤容器の間に空間部が形成されていることは明らかである。

さらに、引用例の「透明体よりなる有底筒状のホルダB」(第2欄第21行、第22行)、「上記ホルダBの閉塞端部には刺通針7がその針基8を介して着脱自在に装着されている」(同欄第23行ないし第25行)との記載及び図面(別紙図面(2)参照)により、引用例記載の注射器のホルダは通常の注射器の注射筒として機能することは明らかであり、また、引用例の「管体2の両端は開口されており、その周壁には目盛が附されている。またその一端にはゴム栓3が装着されている」(第2欄第5行ないし第8行)との記載及び図面により、薬剤容器に装着されたゴム栓は、ホルダ内壁面に密着されるものであつて、薬剤容器は前述のとおりホルダ内を移動するものであるから、通常の注射器のプランジヤとして機能することも明らかである。

したがつて、引用例記載の注射器のホルダと薬剤容器との間の前記空間部は、通常の注射器の注射筒内の空間部として機能することは当業者にとつて自明の事項であり、引用例記載の注射器の薬剤容器内のゴム栓とガスケツトの間の空間部は、本願考案の注射器の第2の薬液室に相当することは争いのないところであるから、該空間部との相対配置から、引用例記載の注射器のホルダと薬剤容器との間の前記空間部は、本願考案の第1の薬液室に相当する部分であることは、紛れのないことである。

以上のとおりであるから、本願考案の注射器の外筒及び内筒は構造及び機能上引用例記載の注射器のホルダ及び薬剤容器に相当し、引用例記載の注射器においても第1及び第2の薬液室を形成でき、2種類の薬液を1回のプランジヤの押込操作によつて順に注射できることは、当業者にとつて自明のことであるとした審決の認定、判断に誤りはない。

2  前記1のとおり、引用例記載の注射器のホルダと薬剤容器との間には、本願考案の注射器における第1の薬液室に相当する部分を形成することが可能であり、この第1の薬液室に相当する部分の薬液を完全に患者に注入するためには、第1の薬液室容積が零にまで低減したときに、刺通針を第2の薬液室に切換連通するように構成すべきことは、至極当然の帰結にすぎず、当業者が目的に応じて適宜採用できたきわめて容易になし得た設計的事項に属するものである。

したがつて、本願考案と引用例記載の注射器との相違点についての審決の認定、判断に誤りはない。

第四証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

一  請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願考案の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当業者間に争いがない。

二  そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。

1  成立に争いのない甲第3ないし第6号証によれば、本願考案は2種類の薬液を順序的に注射することができるようにした注射器に関するもの(昭和57年12月1日付け手続補正書(以下「補正明細書」という。)第2頁第2行、第3行)であつて、その技術的課題(目的)、構成及び作用効果は次のとおりであることが認められる。

(一)  従来、放射性物質を利用した治療検査法では、液状の放射性物質を人体内部に注射するのと同時にすみやかに治療患部にまでかたまり状態(ボーラス)に圧送することが要求されるため、第1図(別紙図面(1)参照)に示すように、刺通針1を接続したチューブ2に取り付けた切換コツク3を介してチユーブ4、5を二又状に接続し、その一方4に放射性物質用注射器6を接続し、他方5に生理的食塩水の注射器7を接続し、最初に注射器6にて放射性物質を注射し、次に注射器7にて生理的食塩水を注射することにより放射性物質を患部に圧送するようにしている(補正明細書第2頁第4行ないし第17行)。しかしながら、この方法では、装置を一人で操作することは困難であり、かつ熟練を要求されるだけでなく、注射器6、7の操作とコツク3の切換操作のタイミングが狂うと、放射性物質や生理的食塩水がチユーブと注射器やコツクの継ぎ部から噴出する等の事故が生じやすい。また、近年使い捨ての注射器が多用されているが、2本の注射器を1回の使用毎に捨てることは不経済であり、放射性物質廃棄物の容量を増大させる欠点がある(補正明細書第2頁第17行ないし第3頁第12行)。

(二)  本願考案は、このような欠点を解消することを技術的課題とし、その解決のために前記本願考案の要旨とする構成を採用した(補正明細書第3頁第13行ないし第4頁第1行)。

(三)  本願考案は、前記の構成、特に外筒、内筒、プランジヤの間に第1、第2の薬液室を画成し、かつ内筒が外筒先端部に近接したときに刺通針が第2の薬液室から第1の薬液室に切換つて連通する構成を採用した結果、注射器を一人で操作するだけできわめて簡単に異種の薬液を順序的かつ迅速にしかもボーラスに注射でき、また、2個以上の注射器や切換コツク、チユーブ等を使用しないので部品点数の低減を図ることができ、注射器を使い捨て用に製作したときには経済的にも有効である(補正明細書第8頁第8行ないし第18行)という作用効果を奏するものである。

2  これに対し、成立に争いのない甲第2号証によれば、引用例は、薬剤容器に血液等の溶解液を注入し、そのまま直接注射できるようにした注射器に関する考案(第1欄第23行ないし第25行)を記載した実用新案出願公告公報であつて、右考案の技術的課題(目的)、構成及び作用効果は次のとおりであることが認められる。

(一)  従来、この種の注射器においては、薬剤の安定性を保ち経時変化を起さないようにするために、薬剤を粉末状で保存し、注射の直前に溶解液用アンプルを切つてこれを粉末薬剤用アンプルに注入し、粉末状薬剤を溶解させ、その溶解液を注射器に吸収して患者に注射するようにしている(第1欄第26行ないし第34行)。

(二)  引用例記載の考案は、このような面倒な手順を踏まないで薬剤を簡単に注射することができる注射器を提供することを目的とし(第1欄第37行ないし第2欄第2行)、実用新案登録請求の範囲の構成、すなわち、「薬剤容器と、この薬剤容器を装着でき、かつ刺通針を有するホルダとを備え、上記薬剤容器は両端を開口してなる管体と、この管体の一端開口部に装着され上記刺通針を刺通させるためのゴム栓と、上記管体内に装着され上記ゴム栓との間に薬剤を収容するとともに血液等の溶解液を吸入するため管体内を移動できるガスケツトとからなることを特徴とする注射器」(第1欄第14行ないし第21行)を採用したものである。そして、引用例には、その使用の態様として(別紙図面(2)参照)、注射を行う際には、ホルダB内に薬剤容器Aを挿入し、ゴム栓3の途中まで刺通針7を刺通し、プランジヤ6をガスケツト4に接続した状態において患者の血管に刺し、しかる後に薬剤容器Aを深く押し込み、ホルダBに強く嵌合し、刺通針7によりゴム栓3を貫通させ、薬剤容器AをホルダBに確実に固定された状態とし、続いてプランジヤ6を引き、ガスケツト4を第3図に示す位置まで移動させ血液を吸入し、吸入した血液と粉末薬剤1とを混和させ、次いでプランジヤ6を押し込み注射する実施例(第2欄第34行ないし第3欄第21行)が記載されている。

(三)  引用例記載の考案は、右構成を採用し、薬剤容器自体で薬剤を溶解させ、そのまま直接注射できるようにしたことによつて従来のように面倒な手続を踏まずに簡単に注射することができる等(第4欄第7行ないし第18行)の作用効果を奏するものである。

3  そこで、前記1及び2の認定事実に基づき、本願考案と引用例記載の考案とを対比すると、本願考案は、2種類の薬液(放射性物質と生理的食塩水)を順序的に(混和することなく)注射することを必要とする注射器について、この種の従来の注射器に存する一人で操作することが困難で、かつ熟練を必要とする等の欠点を解消することを技術的課題とするのに対し、引用例記載の考案は2種の薬液(粉末状薬剤と血液等の溶解液)を混和させて注射することを必要とする注射器について、この種の従来の注射器に存する、注射の直前に溶解液用アンプルを切つてこれを粉末薬剤用アンプルに注入し粉末状薬剤を溶解させ、その溶解液を注射器に吸引して患者に注射するという面倒な手順を踏む欠点を解消することを技術的課題とするものであつて、両者はその技術的課題を異にしている。

そして、それぞれの異つた技術的課題を解決するため、本願考案の注射器は、①前端、後端に刺通部を有する刺通針を先端に取着した外筒と、この外筒内に移動可能に挿入しかつその先端に刺通針の後端が刺通され得るゴム等の栓体を設けた内筒と、この内筒内に挿入したプランジヤとを備え、②外筒と内筒との間に第1の薬液室を、内筒とプランジヤの間に第2の薬液室を画成し、外筒内を内筒が移動して第1の薬液室容積をほとんど零にまで低減したときに、刺通針の後端を栓体に刺通して第2の薬液室に切換連通させるよう構成したのに対し、引用例記載の注射器は、file_2.jpg両端を開口した管体と、その一端開口部に刺通針を刺通させるためのゴム栓と管体内に装置されたガスケツトから成る薬剤容器と、この薬剤容器を装置でき、かつ刺通針を有するホルダを備え、file_3.jpg薬剤容器がホルダに確実に固定された(薬剤容器とホルダとの間の本願考案の注射器の第1の薬液室に相当する部分に死空間が残存する)状態において、プランジヤを引き、血液等の溶解液を薬剤容器の収容部に収容された粉末状薬剤と混和させ、次いでプランジヤを押し込み、該混和した薬液を注射する構成としたものであつて、引用例記載の注射器においては、本願考案の注射器のように第1の薬液室と第2の薬液室を別々に設けるようには形成されていないことが明らかである。

したがつて、本願考案の注射器と引用例記載の注射器とは、その構成において、審決認定の相違点、すなわち、本願考案の注射器は第1の薬液室容積が零にまで低減できる構成であるのに対し、引用例記載の注射器は、薬剤容器とホルダとの間(本願考案の注射器の第1の薬液室に相当する部分)に死空間が残存する構成である点において相違するだけでなく、本願考案の注射器は、外筒と内筒との間に第1の薬液室を、内筒とプランジヤの間に第2の薬液室を画成し、外筒内を内筒が移動しプランジヤの押込操作によつて第1の薬液室内の薬液を第2の薬液室内の薬液によつて圧送状態によつて注射し得る構成であるのに対して、引用例記載の注射器は薬剤容器内に一個の薬液室を設けるだけであつて、第1の薬液室と第2の薬液室を設けるものでなく、また、薬剤容器はホルダに固定された状態で使用され、使用に際してホルダ内を薬剤容器が移動せず、そのため2種類の薬液を1回のプランジヤの押込操作によつて順に混和することなく注射し得ない構成である点において相違するというべきである。

被告は、引用例記載の注射器においては、薬剤容器はホルダ内に挿入される時のみならず、患者に使用する過程においてもホルダ内を移動し、ホルダと薬剤容器の間に空間部が形成されていることは明らかである旨主張する。

しかしながら、前掲甲第2号証によれば、引用例には、「注射を行なうにはホルダB内に薬剤容器を挿入し(中略)注射器の刺通針7を患者の血管に刺し、しかるのちさらに薬剤容器Aを深く押し込み刺通針7によりゴム栓3を貫通させる。このとき薬剤容器AはホルダBに対し強く嵌合する。すなわちホルダBの奥部を狭く形成してある。しかして確実に固定された状態で刺通針7は粉末薬剤1の収容部5と連通する。」(第2欄第34行ないし第3欄第7行)、「また薬剤容器をホルダに装着する際に嵌合するだけでなく薬剤容器の管体をホルダに螺合させるようにしてもよい。」(第4欄第3行ないし第5行)と記載されていることが認められ、右記載事項から明らかなように、引用例記載の注射器の薬剤容器は、ホルダとプランジヤとを仲介する機能上ホルダに確実に固定された状態で使用されるものであり、患者に使用する、すなわち注射を行う際にホルダ内を移動するものではないから、ホルダと薬剤容器との間に空間部は形成されない。もつとも、注射を行うに先立つての準備過程(薬剤容器をホルダに挿入し、刺通針を患者の血管に刺した後薬剤容器をホルダに深く押し込み刺通針によりゴム栓を貫通させる過程)においては薬剤容器はホルダ内を移動し、薬剤容器をホルダに挿入する際には被告主張のような空間部を生じる状態になるが、この状態において、右空間部には薬液が存在せず、空気が無用に存在しているにすぎず、しかも準備課程の進行に従い右空間部は消滅するのに対して、本願考案の注射器における第1の薬液室は2種類の薬液を順序的に注射するために薬液を収容して形成されるものであるから、右空間部をもつて、引用例記載の注射器においても第1の薬液室に相当する部分を形成することが可能であるということはできない。したがつて、被告の前記主張は理由がない。

また、被告は、引用例記載の注射器の薬剤容器はホルダ内を移動するものであるから、通常の注射器のプランジヤとして機能する旨主張するが、注射を行うに際して右薬剤容器がホルダ内を移動しないことは前記認定のとおりであるから、通常の注射器のプランジヤとして機能しないことは自明であつて、被告の右主張は理由がない。

したがつて、本願考案の注射器と引用例記載の注射器とは、「外筒と内筒との間に第1の薬液室を、内筒とプランジヤとの間に第2の薬液室を画成でき、外筒内を内筒が移動して刺通針をそれまでの第1の薬液室との連通状態から第2の薬液室に切換連通させるよう構成し、プランジヤの押込操作によつて第1の薬液室内の薬液を第2の薬液室内の薬液によつて圧送状態に注射し得るように構成して成る注射器である点で一致」するとした審決の認定、判断は誤りである。

4  前記1ないし3において認定したとおり、本願考案の注射器は、2種類の薬液を順序的に注射するため、まず第1の薬液を注射し、第1の薬液室の容積が零にまで低減したとき、刺通針を第2の薬液室に切換連通することにより第2の薬液を注射することができる構成のものであるのに対し、引用例記載の注射器は2種類の薬液を混和させて注射するため薬剤容器内に形成された1つの薬液室で2種類の薬液を混和しこれを注射するものであつて、ホルダと薬剤容器との間に本願考案の第1の薬液室に相当する部分を形成するものではない。

このように、両者はその技術的思想を異にし、そのために審決認定の前記相違点に関する構成を異にするものであるから、引用例記載の注射器において第1の薬液室容積が零にまで低減したときに、刺通針を第2の薬液室に切換連通するように構成することは、当業者がきわめて容易に想到できたものではない。したがつて、この点について、当業者が目的に応じて適宜採用できたきわめて容易になし得る設計的事項に属するとした審決の認定、判断は誤りである。

5  以上のとおりであつて、本願考案は引用例記載の注射器の構造の一部をきわめて容易になし得た設計変更したにすぎないとした審決の認定、判断は誤りであるから、審決は違法として取消しを免れない。

三  よつて、審決の違法を理由としてその取消しを求める原告の本訴請求は正当として認容し、訴訟費用の負担については、行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井俊彦 裁判官 竹田稔 裁判官 岩田嘉彦)

〈以下省略〉

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